FC2ブログ

音楽アラカルト

音楽に関するひとりごと

“Stein Song”を知っていますか?

私は東京都立大学付属高校4期卒業生。学制制度変更で7年制の東京府立高校から学制変更で切り替わって間もなくの卒業生です。この学校が6年制中高一貫の桜修館となり、来年3月の最後の57期卒業生をもって都大付高は閉校となります。これを惜しんで、旧制時代以降代々の学生達が創り歌い継がれた寮歌、学生歌、記念祭歌などを収録して、記念のDVDを作ることになり、先日100人余りの卒業生がこれらを歌い、録音録画に加わりました。この中で唯一学生のオリジナルではない歌が1曲ありました。それは「学生歌」としてよく歌われていた歌です。

 あげよ盃 若き日の為に いざ酔おう友よ 充ち充てるこの日
 讃え歌おう 我等が母校 希望の揺りかご 心の故郷
 雲よ 鳥よ 輝ける 今日の空よ 力 生命 漲れる春の朝よ
 花よ 夢よ 幻と消ゆる陰よ 我等 君に 杯を捧げん OH
(始めに戻る)


これを是非歌いたいと推薦したのは2期先輩でしたが、彼によると「堀内敬三が、戦後すぐ“この歌を歌ったらみんな元気が出るだろう”と昭和19年から在学していた息子に託して学生たちに与えたのがこの歌で、元はドイツの学生歌で、これをアメリカのメイン大学の学生がパクって学生歌にしたもの、それをさらにパクったのがこの歌です」ということで、メロディは「スタイン・ソング」としてよく知られているもので、当然その歌詞は堀内敬三の手になるものでした。

「スタイン・ソング」はJASRACのインデックスによると作曲はE.A.Fenstad、作詞はLincoln Colcordとあります。ルーツを調べてみると、オリジナルは1901年にフェンスタッドが作曲したもので、それは歌詞を持たない行進曲でした。それから9年後、1910年にメイン大学の学生A.W.Spragueがこの曲に手を加え、クラスメイトのLincoln Colcordが歌詞をつけ“Opie-The Univercity of Maine Song”というタイトルをつけ、メイン大学のキャンパス・ソングとなりました。大学内のみに秘められていたこの歌を1930年にルディ・ヴァリーが放送とステージで採り上げたところ大反響。吹込んだレコードはその年の3月15日から21週間ヒット・チャートに入り、そのうち10週間トップの座を占めるという大ヒットになり、全米、いや全世界で知られる歌になってしまいました。(“American Popular Songs”by David Ewan,1966 による)ということで、文献には「ドイツの学生歌」ということは出てきません。

これが何故巷間では「ドイツの学生歌」と言われるのでしょうか。“Stein Song”という原曲のタイトルに原因の一つがあるようです。しかし“Stein”はドイツ語で“石”つまり英語の“Stone”にあたる言葉で、「石の歌」では何の意味もありません。ところが英語で“Stein”は陶製のグラス(盃)のことで、これなら「乾杯の歌」として我国でも歌われるようになった理由がはっきりします。「スタイン・ソング」は英語の発音で、ドイツ語なら「シュタイン」と言わなければなりません。しかし気になるのは、学校の生徒名簿の巻末に記載されていた楽譜には“Ein Prosit der Gemutlichkeit”(「友情に乾杯」とでもいうのでしょうか)というドイツ語の副題が添えられてあったことで、これを手がかりにこれからも調べてみるつもりです。アメリカの作詞作曲家のリストには、著作者となっているフェンスタッドもコルコードもこの曲以外に登録されている曲は一つもないというのも不思議なことです。

さて、堀内敬三訳の「乾杯の歌(スタイン・ソング)」は、3種類あります。我々の学校のために書いてくれた上記の歌詞と、それを土台に一般向きに直した(あるいは逆かも知れない)下記の歌、

 あげよ杯 若き日の為に 高らかに歌えよ 青春の歌を
 あげよ杯 愛と美の為に うるわしき 此の世を 讃えて歌おう
 花よ 鳥よ 輝ける春の朝よ 歌よ 夢よ 若き日の あつき恋よ
 希望みてる 素晴らしき我が世界よ 我等 君に 祝杯をささげる おお
(始めに戻る)


一番一般的に歌われているのは、

 盃をもて サア 卓をたたけ 立ち上がれ 飲めや 歌えや もろびと
 祝いの盃 サア なつかしい 昔のなじみ 心の盃を
 飲めや 歌え  みそなわす 神の為に 飲めや 歌え 愛の為に
 飲めや 歌え 我がいのちの為に 飲めや 歌え 愛の為に ヘイ
(始めに戻る)


という歌詞で、都大付高を出た我々は混乱するのですが、歌われる場所はビアレストランが大変多いこともこの歌のルーツがドイツだという説に結びついたのではないかと思います。
堀内圭三がこの歌をいつ採り上げて訳したかは判りませんが、彼はマサチューセッツ工科大学に1921~23年の間留学していたので、その頃にこの歌を知って訳したのかもしれません。とするとそれは、ルディ・ヴァリーが大ヒットさせる前ということになり、大変に先見の明が合ったことになります。

これを大ヒット曲にしたルディ・ヴァリーについては次回に・・・



スポンサーサイト




別窓 | なつかしいメロディ~ | コメント:0 | トラックバック:0
∧top | under∨
<<6月7日は大橋節夫の命日!! | 音楽アラカルト | ジャック滋野>>

この記事のコメント

∧top | under∨
コメントの投稿
 

管理者だけに閲覧
 

この記事のトラックバック

∧top | under∨
| 音楽アラカルト |